ナーミンの玉手箱

本、投資、マンガ、麻雀などなど。好きな事について気楽に書いていきます。

新人のなぜ?を尊重するべき本当の理由

新人の質問はとてもピュアだ。

「なんでこういうやり方をするんですか?」

「どうしてこうなるんですかね?」

 

などなど。現場に慣れきった自分が、普段気に留めないような事でも遠慮なく聞いてくる。それはとてもいいことだと思う。仕事のやり方をただ教えるのではなく、理由や背景まで教えられてこそ一流だと思うし、新人もそっちのほうが覚えやすい。お互いの能力向上に役立つ。

 

僕が読んだ本にもこのようなことが書いてあった。

 「成長の4段階」という理論に、「無自覚の有能」と「自覚せる有能」という考え方があります。実際、行動として起こすことはできるけど、行動の「理由」まで説明できないのが「無自覚の有能」です。これは教え下手によくあるタイプです。「よくわかんないけど、とりあえず、こうだから」といった説明をします。教える側自身、なぜその行動をしなければならないのか理由が分かっていないので、教わる側も納得感が低く、再現性も低くなりがちです。

 それに対して、行動に移せて、しかもその行動の「理由」まで説明できるのが「自覚せる有能」です。教え上手な人は、この「自覚せる有能」の方が多いです。難しいと言われている仕事でもなぜ上手くこなせるのか、理由が分かっているので、外してはいけないポイントを意図的に繰り返したり、そのポイントを人にわかりやすく指導したりすることができるのです。                 「オトナ相手の教え方」より

 

このように 「なぜ?」を説明できるのは自分にとっても非常に大切なことだ。

 

でもまず大前提として心に留めておくべきことは、「なぜ?」と新人に聞かれるうちが一番花だということ。この人だったら教えてくれるかもしれない。そういった期待をしているから、新人は「なぜ?」と聞く。

 

問題は理由が答えれなかった場合だ。その時に、その人の本当の価値が試される。

分からない時にどういう対応をするのか。そこを新人はしっかり見ている。

 

僕は「なぜ」を聞かれた時に、分からなかったり上手く説明できない時は素直にこう答えることにしている。

 

「う~ん俺も分かんないわ、ちょっと一緒に調べてみようか」とか

「ちょっとすぐに上手く説明できないから宿題にさせてくれる?」など。

 

一番最悪な回答は、分からないと言えないちっぽけな下らないプライドが邪魔をして

「これはウチはこういう処理するって昔から決まってるんだ!」

とか、自分の業務で忙しくてイライラして

「なんで?とか理由はいいから、この時はこうなんだって覚えとけばいいんだよ」

なんて感情にまかせて言ってしまう事。そうすれば2度とその新人から「なぜ?」は出てこなくなるだろう。

そうして新人と先輩、双方が学習できる機会は永遠に失われる・・というわけ。

なんと悲しい事でしょう。

 

かの有名なトーマス・エジソンは幼少期、なぜ?を連発する好奇心旺盛な子供だった。

小学校では1+1=2に疑問を抱き、泥団子2個をグシャリと合体させて、「ほら、1+1は2にならないじゃないか!」と先生にくってかかったエピソードもあった。

そういうエジソンの色々な疑問に対処できなかった先生は、「お宅のお子さんはとても出来が悪いですね!」とエジソン母に文句を言い、最終的には3カ月で学校を退学することになる。その後は元教師であった母が自宅で勉強を教えたという。

 

もし学習障害の人であっても、どのような人であっても、教える人はその人が感じた「なぜ?」を潰してはいけない。例え自分の知識では上手く回答することができなくても、疑問に思う心は尊重すべきだと思う。

 

なぜなら、「なぜ?」から出発することが本来の学習のあり方だと思うから。

「AだからB」「Cの時はD」の式をいくら暗記しようと、そこに深みはない。パターンを一つ覚えただけの事。

でも「なぜAの時はBになるのか」「Cというルールはどういう背景でできたのか」を好奇心をもって調べていけば、そこにある時代背景や人との関わり、基本的な事柄を一気に学べる。興味対象は放射線状に広がる。脳内のシナプスがどんどん繋がっていく。

断片的・表面的だった知識は、学習が進むにつれてその関連性が理解できるようになる。


そして

「そうか、つまりあれはこういうことだったんだ」

視野がぱっと開けるような感覚をいつしか感じる。

そこからさらにまた広がっていく。

 

「なぜ?」はその壮大な学習の旅の、一番最初の大切なとっかかり。そこを他人が潰してしまうことは、絶対にあってはいけない。と思っている。好奇心からスタートして様々な事を学習していくこと。自分の生活に直接関係のないことでも、想像力を働かせ、仮説を立てて考えること。それは他の動物にはない、人間が人間であるうえで、とても大切な営みだから。

 

犬は飼い主の前でクゥ~ンと鳴けばエサをくれることはパターンとしてわかっている。

「AすればBになる」ということだけはわかっている。

でも「なぜクゥ~ンと可愛く鳴けば飼い主はエサをくれるのだろう・・・」とか、

はたまた自分の生活に関係のない「宇宙の原理はどうなっているのだろう」なんて考えだす犬はいない。(もしかしたら彼らも考えてるのかもしれないが・・・その時はゴメン)

 

犬が「クゥ~ンと鳴けばエサが出てくる」とパターンで覚えているのと、人間が仕事で「Aの時はBする」とただパターンで覚えているだけなのと一体何処が違うのだろう。やっぱり僕は人間である以上、「なぜ」を大切にしたい。そう思うのだ。

 

 

なんか途中から思いに任せて書いたから、ポエム風になってしまったような・・・まぁブログなのでご勘弁頂きたい。おわり。

 

 

オトナ相手の教え方

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