ナーミンの玉手箱

本、投資、マンガ、麻雀などなど。好きな事について気楽に書いていきます。

今でも思い出す、みじめで、なさけないあの事。『夜と霧』

とにかく、あれは忘れられない。ある夜、隣で眠っていた仲間がなにか恐ろしい悪夢にうなされて、声をあげてうめき、身をよじっているので目を覚ました。以前からわたしは、恐ろしい妄想や夢に苦しめられている人を見るに見かねるたちだった。そこで近づいて、悪夢に苦しんでいる哀れな仲間を起こそうとした。その瞬間、自分がしようとしたことに愕然として、揺り起こそうとさしのべた手を即座に引っこめた。そのとき思い知ったのだ、どんな夢も、悪夢の夢でさえ、すんでのところで仲間の目を覚まして引きもどそうとした、収容所でわたしたちを取り巻いているこの現実に較べたらまだましだ、と・・・・。

                            『夜と霧』 より

 

 

夜と霧 新版

夜と霧 新版

 

 

 

先日、『夜の霧』を読み終えました。第二次世界大戦時のドイツで、実際に強制収容所に入れられてしまった心理学者の著者が、その眼で見て体験したことを描かれています。

 

上の引用は僕が読んでいて一番ショッキングだった部分です。

悪夢よりも現実の方が辛い・・・

そんなことありえますか?普通だったら絶対考えられないですよね。この文で、どれだけ収容所生活が異常な場所だったのか・・・察することができると思います。

著者は朝を迎え、現実に引き戻されるのが何よりもつらかったそうです。

 

自分はドイツに1年留学したことがあります。収容所も実際に見学しました。ドイツの人々はナチス時代に行った非道なこと、ひたすらに反省し続けています。決して忘れぬよう、ドイツは政府からお金を出して、収容所跡を負の遺産として今もなお残し続けています。

 

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収容所では、門に「ARBEIT MACHT FREI」と書かれています。

直訳すると、「労働は自由を作る」ですが、意訳すれば「働けば、自由になれる」という感じでしょうか。しかし囚人には働けど、働けど、解放の日まで自由は訪れませんでした。

 

このドイツの歴史について、僕はとても苦い思い出があります。今でも思い出す、情けない出来事です。

 

僕はドイツに留学し、仲良くなったドイツ人のルームメイトがいました。留学が初めてで、分からないことは何でも助けてくれたとても良い友達でした。そのルームメイトが「クリスマスはウチの実家においでよ!」と誘ってくれたので、チューリンゲンの田舎の家まで遊びに行ったのです。

 

彼の家にお邪魔した2日目、僕は料理の手伝いをしていました。ポテトを潰す作業をしていた時のことです。ふと、あの収容所の看板を思い出し、作業が終われば楽になる、と冗談のつもりで「ARBEIT MACHT FREI!ARBEIT MACHT FREI!」と言ってしまったのです。

 

するとルームメイトは悲しげな表情で、しかし力強い眼でこう言いました。

「冗談でもそういう事は言わないでほしい。ドイツ人にとって、本当につらくて繊細なことだから。」

 

やっちまった・・・みじめさと、後悔と、自分に対する恥ずかしさが頭の上まで突き抜けました。「ごめん、そんなつもりじゃ・・本当にごめん。。。」としか言えなかった。

 

人は時におちゃらけたり、冗談を言ったり、軽口をたたくときもあります。

ですが、軽々しい気持ちで触れてはいけない、茶化してはいけない部分は人・グループ・国によって必ずあるのです。

 

それを身をもって知った、苦い出来事でした。今でも時々思い出して、自分を戒めています。もう2度とこんな思いをしないように。