ナーミンの玉手箱

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歴史は敷かれたレールの上を走っているのではなく、ジャンプする。『まぐれ』

僕たちが生きている「今」。ここにたどり着くまでの歴史は、なるべくして続いてきたものなんだろうか。狩りをせず、車に乗り、会社で仕事し、家ではケータイをいじり、ベッドで寝る。夜を照らす光があり、誰でも医療を受けれる社会保障があり、払うべき税金がある。こんな「今」は、過去から現在へ、あらかじめ敷かれたレールを走ってくるようにして続いてきたものなのだろうか。

 

ちょっと考えれば、それは違うことに気づく。僕たちの年代でわかりやすいのは、スマートフォンだ。iPhoneが世の中に出るまで、誰が携帯電話がこんな風になると思っただろう。それまではガラケーで、ボタンを押して操作するのが普通だった。文字数制限のあるメールを、素早くボタン連打しながら打ったものだ。タッチパネル式で、画面しかなく、好きなアプリを入れて使う・・・そんな電話を、誰が想像しただろう。

 

もっといえば、携帯電話の発明自体がそうだ。携帯電話が世の中に出るまでは、自宅の電話か公衆電話しかなった。待ち合わせは駅前や喫茶店、すれ違い、待ちぼうけもしょっちゅう。今では、LINEで、いつ携帯を見たのかもすぐにわかってしまう。SNSで、どこで何をしていたのかもすぐにわかってしまう。そんな時代が来ると、20年前に想像できただろうか。

 

興味深いのは「今」となっては、世界中の人がスマートフォンで様々なことをやりとりしているのが、過去から予定されていた出来事のように、当たり前に思えてくるということだ。携帯電話がなくて待ち合わせにも不便していた時代から、便利な「今」になるまで1本のレールが敷かれていたように。でも思い出してほしい。携帯電話が発明されていなければ、この「今」はなかった。そして過去に携帯電話が発明されるかどうかは、ランダムな部分にかなり左右される。

 

(しかし、経済学者や社会学者など「予想」で飯を食っている人は、そういった偶然の出来事をさも当たり前に予定されていたものだったかのように説明するのがとてもうまい)

 

そう、歴史は、決して敷かれたレールの上を走っているのではない。

ランダムな出来事によって、ある地点からある地点へ、世界が変わるようにジャンプする。

 

『まぐれ』は、そういったランダム性について取り扱った本だ。

まず著者であるタレブの書く文章がすごく面白い。話題があっちこっちに飛んで、支離滅裂なのである。金融トレーダーの話をしていたかと思えば、ダーウィンの進化論の話が出てきたり、歯医者の話が出てきたかと思えば、確率論の話になったりする。

 

数年前、最初に『まぐれ』を読んだ時は、正直いって意味がわからない本だと思った。とにかく散文的でしっちゃかめっちゃかしているし、まとまりがない。非常に読みにくい本だと思った。そう、それまでは読みやすく、簡潔であることは良いことだ。と思っていたからだ。

 

しかし、何年か投資を続けていて、また今年に読み直してみると、タレブの文体が実はとても面白いことに気づいた。タレブは、あえて散文的に文章を書くことで、世界のランダム性を本の中にも再現したのだと。世の中で確実にいえることなんて限りなく少なくて、簡潔とはかけはなれたものだと。混沌で複雑怪奇、わからないことだらけ。でもわからないことは何も悪いことではないこと。

 

むしろ、自分は世界をよくわかっているなんて思ってる自信家ほどランダム性に翻弄されて手痛い仕打ちを喰らってしまうこと。

 

世の中そんなに単純ではない。わからないことはわからないと言っていい。むしろわからないことをわかっている自分を褒めるべきだ。わからないことをわかっていなくて、自分は何でもわかっていると勘違いしている方が断然ヤバイ。事故を起こしたり、取り返しのつかない大失敗をするのはたいていこういうタイプだ。

 

みなさんも、この世界にあるランダム性って何かな?と思ったらぜひ読んでみてほしい。投資でランダムな結果に振り回されている人、そんな人にもおすすめ。