ナーミンの玉手箱

本、投資、マンガ、麻雀などなど。好きな事について気楽に書いていきます。

初めての恩師。学ぶことの本当の楽しさ。『こころ』

誰にでも恩師と思える人がいると思う。
もしかしたらいない人もいるかもしれない。
けど幸いながら自分は見つけることができた。
高校で出会った現国の千石先生、今でも一番の師と思える先生だ。先生は漱石などの近代文学を専攻されていた。
お年は60近くだったように記憶している、洗練された英知、独特なダンディズム、そして茶目っ気を兼ね備えた先生であった。
特に師弟関係のようなものがあったわけではなく、ただ自分が崇拝していただけなのだけれど。
千石先生は自分に、学ぶことの本当の楽しさを教えてくれた初めての先生だった。


千石先生に会うまでは、本当に授業に対して面白いという気持ちを抱いたことは微塵もなかった。
勉強=テストで良い点を取ることだと思っていたし、テストは大嫌いだった。高校はテストがない推薦入試で受けた。幼稚園から中学までは大学附属の学校だったので、エスカレートであがれた。無論テストは受けていない。テストで数値化する勉強が本当に嫌いだったし、もとよりグータラなのであまり努力もしなかった。

だが、千石先生に出会った当初は、まだ先生の良さ・懐深さが分からずにいた。
とてつもなく深い教養と知性、そして暖かさを兼ね備えていたことは微塵も知らなかった。
授業の前期は杜子春をやったが、あまり内容は覚えていない。殆ど寝ていたからだ。

 

千石先生はいわゆる熱血漢といった感じではなかった。誰かが寝ていたからといって、起こしたりはしない。
授業スタイルはいわゆる学生参加型だ。指名して教科書を読ませ、いくつかの解説を先生から加えたあと、「何かこのところについて質問や感想はあるか?」とみんなに尋ねる。誰も発言しなければ淡々と授業を進める。そんな感じだった。
自分はそれまで、授業に積極的に参加したり、質問したり発表することはなかった。小学校からそうだった。自分なりに考えることはあるものの、それを先生にいったところでどうなる?と思っていたからだ。何か発言したところで、先生から何か面白い答えが返ってくるのか?それに全員の前で何か自分の空気を作るのも気が引ける。当時はそう思っていた。
過去に質問をしたことも何回かあるが、小中学校の先生は今日のノルマを終わらせることに必死といった感じで、質問はさらっと流すような対応をされた記憶しかない。


前期の授業が終わり、僕らは夏休みの課題を出された。夏目漱石の「こころ」を読んで、その感想文を4000字以上で提出しなさい、というものだった。
元々、テストは嫌いだったが感想文はそんなに嫌いじゃなかった。
しかしいつかやるさ・・・とグータラ夏休みを過ごし、やっと取り掛かろうと腰を上げたのが夏休み終了数日前。ダメ学生の黄金パターン。

恥ずかしながら、これまで文学らしい本を読んだことがなかった。やるまではグータラのくせに、やるからにはハイクオリティを!といった奇妙な性格なもので・・・ガーッと読みきった。
僕にとって、こころはとても考えさせられるものだった。唸らされるといったらいいのか。ガツンときた。エゴとは何か、理性とは、本能とは。本気で、本当に本気で考えた。1日中こころについて考えた。そして感想文には、こころを通じて考えた理性と本能について自分の考えうる全ての考察をまとめた。理性と本能は相反するものではなく、理性は本能の中の一要素として存在するのだ・・・そのようなことを、文中の表現を批評しつつ述べた。他にも思いついたことをつらつらと綴り、文としてのまとまりは皆無だったように思う。でも、自分としては満足の出来だった。考えたこと全てを書いて提出した。


そして後期の授業が始まった。今でも覚えている。2回目の授業の冒頭だ。
「え~みんな夏休みの課題を提出してくれたな。よく書けているやつもいれば、そうでないやつもいる。その中でも、ナーミンのは大変読み応えがあったな。オリジナリティがあって面白かった。」

正直震えるほど嬉しかった。さらに先生の話は続いた。

「え~君たちは、どんな時が一番良い文章が書けているか知っているか?」

 

「文体や様式といったモノもまぁ、大事なんだが・・・そういった足かせに囚われないで、自分の内面から溢れるものをそのまま文章にしている。そんな時が君たちが一番輝いている瞬間なんだ。」

 

この言葉は、本当に自分の心に残った。大事にしていた感覚が認められた気がした。と同時に、この先生は素晴らしい!他の先生とは一線を画している!この先生ならついていける!と確信した。


それから後期の授業は「こころ」について、いつもの先生のスタイルで行われた。
僕はほぼ全ての授業で質問をするようになり、自分の考察・見解も述べた。
先生から返ってくるレスポンスも見事なもので、全力で投げた質問が3倍増しで返ってきた。誰かが納得いかないといった感じなら、何回も解説をしてくれた。1回の授業で1ページしか進まなくても、先生は何も気にしなかった。

先生はなんでも答えてくれた。漱石は先生の専門分野だったことももちろんあるが、しかしながら、先生の底なしの知といったらいいのか、そしてそれに内包される人間的な優しさといったらいいのか、包み込まれるような感覚がとても好きだった。時折話してくれる人生訓のようなものも大好きだった。
「人間は30歳を過ぎれば人生観が変わる、開けたものになる、だから30までは生きろ」だとか・・「可愛げのない奴はなにやってもダメだ」とか・・・


この先生を通じて学んだこと全てが、今の自分の思考の元となっている。そういっても過言ではない。
そしてなにより、学ぶことの楽しさを初めて知った。

自分にとって、千石先生は大切な恩師である。

 

 

こころ (新潮文庫)

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